パテックフィリップ

パテックフィリップ

パテックフィリップの足跡[1]

パテックフィリップの足跡[1]

社名の歴史

パテック フィリップ社は、1839年に《Patek, Czapek & Cie》として誕生します。その後4回社名を改めて、1845年には《Patek & Cie》、1851年には《Patek Philippe & Cie》、1921年には《Ancienne Manufacture d'Horlogerie Patek Philippe & Cie, S.A.》、そして1932年からは《Patek Philippe SA》となって現在に至ります。

美術愛好家
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック (1812~1877年)

アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック1812年7月12日ポーランドに生まれたアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、勲章をポーランド将校として得ましたが、亡命後は、亡命者団体間の連絡のために各国を回ります。その後、1835年頃からジュネーブに居を定めます。アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、時計と美術に深く関心をもち高級懐中時計の製作にたずさわるようになります。アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、何よりも製品の品質を重視したため、これが多くの顧客を獲得することとなります。


発明の天才
ジャン-アドリアン・フィリップ (1815~1894年)

ジャン-アドリアン・フィリップジャン-アドリアン・フィリップは、1815年、時計師の息子としてフランスに生まれた、発明の才能にあふれた技術者でした。弱冠21歳にして自ら工房を開き、懐中時計を年間150個、生産します。竜頭による巻上げ・時刻合わせの機構を1847年、27歳の時に発明します。ジャン-アドリアン・フィリップは、この発明を組込んだ製品を売り出し、大きな販売実績を上げることを計画していましたが、2年後にアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックと巡り合い彼の人生の転機がおとずれました。

礎となる出逢い

アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは1844年、パリでジャン-アドリアン・フィリップに出逢います。パリで行われていた博覧会にフィリップは自身の発明した革命的な機構を出品していたのです。直ちに2人は意気投合し、1845年、ジャン-アドリアン・フィリップは《パテック社》(Patek & Cie)の共同経営者になります。《世界最高の時計をつくる》という社是の下に1851年には、社名を《パテック フィリップ》(Patek Philippe & Cie)と改めます。アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとジャン-アドリアン・フィリップの協力が、世界の時計製作を大きく進歩させ歴史にその名を残すこととなったのです。

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